「漂民宇三郎」井伏鱒二、盗用の常習という前にその努力を評価すべき


 171182044_2589134524722409_2919004691553475650_n.jpg何かにつけて井伏鱒二は「盗用、盗作」に批判が絶えない。
「黒い雨」実在の被爆体験者の日記がその内容の大半、とは
云うが作家が実際に体験したり見聞できることはごく限られ
ている。想像力を働かせて創造をといって、無から有が生ま
れる道理もない。必ずなにか素材、資料がなければどうしよ
うもない。職業作家となるとどうしても原典探しに言葉は悪
いが狂奔しがちである。・・・・・井伏鱒二、「ジョン万次
郎」もその批判を浴びがちだが、これになにか似た戦後の作
であまり知名度は高いとは云えないかもしれないが、「漂民
宇三郎」1956年という作品がある。

 井伏鱒二の文化勲章受章式での渋面、盗用、盗作の批判を
熟知もしていたし、「ドリトル先生」翻訳もすべて他人が行っ
ていたものである。

 だが盗用魔で井伏鱒二を単純に決めつけてはいけない。作
家の中でも井伏鱒二ほどこまめにメモをとる人はいなかった
という。旅先の旅館でも、多少珍しい料理が出ればすぐにメ
モ、小さな手帳いっぱいにその日の配膳の具合や料理の品々
が記録される。さらにはテープレコーダーまで使い始めた。

 従って他人の作でも、その描写表現の一つ一つを確かめな
いと気が済まなかった。ある新人作家の書いた作品を読んで
いて、はたと雑誌を畳に置いて図面を描き始めたという。し
きりに「どうもおかしい」と首をひねっているのを見た知人
が理由を聞くと、小説の中の料亭の構えと日射しの関係で、
どう考えても松の木の影がさすはずがない居間に、平然と松
の木の影がさしている、というのである。描写のウソ、粗雑
さは井伏鱒二には通用しなかったのである。

 ある日、講談社の編集者が井伏を訪ね、たまたま前田家に
保管されていた幕末の漂流記、「時規物語」の話をすると、
即座に興味が湧いたらしく、それを書きたいと言い出した。
といって加賀の前田家が所蔵だから簡単に見せてくれるはす
もない。しかし井伏の熱意、執念をなだめするすべもなく講
談社が八方手を尽くして原本を入手、井伏に貸し出した。そ
れから井伏は入念に読み解き、調査も行って原本を解明し、
出来上がったというのが「漂民宇三郎」これは芸術院賞に輝
いたという。関係者も井伏作品を読んで「こりゃ原本より遥
かに信憑性がある、たいしたものだ」と感歎したという。

 このエピソードのように井伏鱒二は原典なくして書けない
作品でも、徹底した原典の読み込み、解読、調査を行ってい
たというのである。「盗用、盗作」常習作家と括るのは大き
な誤りだと思える。